たねづけのティッシュ箱

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【きみと、波にのれたら感想】大切な人を亡くした時、前に進めますか

先日現在公開中のアニメーション映画「きみと、波にのれたら」を見てきたので個人的な感想を認めようと思います。

 

前情報として恋人を亡くした主人公の前に亡くなった彼氏が水の中に現れるようになった、というのはCMで知っていましたがもう少し詳細なあらすじをまずはお話します。

 

主人公の名前は向水ひな子。サーフィンが得意でとにかく明るい性格で大学進学をきっかけに大好きな海辺の街へと引越しをする。

 

新たな生活へと一抹の不安を抱えながらも大好きな波に乗る。そんな彼女を見つめ、「ヒーローが帰ってきた」と呟く男が後にひな子の恋人となる消防士の雛罌粟港(ひなげし みなと)。

 

そんな接点のなさそうな2人が出会う事件が突然発生する。

ひな子の住むマンションの隣で建設中の建物で若者数人が勝手に侵入し、花火を上げ始める。そしてその花火がマンションのに燃え移り、火事になってしまう。

 

大切なサーフボードやら財布やら持ってから逃げようとするひな子だったが逃げ遅れてしまい、屋上へ駆け出して助けを求めて叫ぶ。

 

この時助けに来たのが港であり、これが2人の運命の出会いとなる。

 

2人は一緒にサーフィンをしたり、デートしたりして順風満帆だったが港はひな子を置いて急逝してしまう。

 

絶望にくれるひな子を無理やり連れ出したのは港の後輩で消防士の川村山葵と港の妹の洋子。カフェで3人で話している途中、店内では懐かしい曲が。

 

 

港とひな子の思い出の曲が流れ、ひな子は思わず口ずさむ。その時、コップの水の中に港の姿が見える。この時から歌えば水の中に港が現れるようになる。

 

しかし、他の人には港の姿は見えず、現実を見ろとひな子を諭す。

そんな言葉たちとは裏腹に港と再会出来たひな子は水を持ち歩き、港と一緒に行動するようになる。

 

けれども、水の中の港とは話せても触れられない。抱きしめられない。それでもひな子は港と一緒にいられればいいと言ってこのまま居ようとする。

 

そんなひな子とは裏腹に、港の周りにいた人間たちは順調に前へと進んでいく。

 

ひな子は水の中に沈んで波に乗らないのか。

水面に上がって波に乗って前へ進むのか。

大切な人を亡くすのはとても悲しく、足を重くしてしまうもの。ひな子が出す答えをぜひその目で確かめてみて欲しい。

 

大切な人がいる人。

大切な人を失ったことがある人。

前へと進めない人。

今波に乗っている人。

たくさんの人に見て見て欲しいです。

 

内容の話は話しすぎてもいけないのでこのくらいなのですが、とにかく絵が綺麗。波という言葉がタイトルに入ってるだけはあります。波を始めとした水の絵がすごく美しいです。

 

水に入る光、水の流動性、まるで生き物のように輝き動く波の動きを是非劇場でチェックして欲しいです。

 

これからは映画を見て自分の人生を少し振り返った自分語りになります。

 

皆さんは大切なものはありますか?

恋人、家族、友人、大切な人から貰った物、エトセトラ。

 

皆さんは大切なもの、人を失ったことはありますか?もし嫌なことを思い出させてしまったらごめんなさい。

 

私には高校生の時大好きで尊敬していた先生がいました。

体育の先生だったのですが怒鳴ったりとかはせず、すごく生徒に寄り添ってくれるいい先生でした。

そんな先生に言われたことでよく覚えていることがあります。毎年冬季になると体育の授業は体力づくりのためにひたすらランニングのメニューになります。

 

とにかくめんどくさかったし走るのも得意では無かったのでテキトーに手を抜いて走ってたのですが、そんな時先生はこんな言葉をかけてくださいました。

 

「ちゃんと走らないと体力つかないぞ。体力がついて悪いことは無いし。それと、一生懸命やることは結果が伴わなくてもカッコ悪くないからな」

 

と。少々美化してしまっているかもしれませんが、こんな感じのことを言っていました。

部活の試合があった翌週会ったりすると別の部活で接点もないのに試合どうだった?とか声をかけてくれたり、たくさんの優しさを貰いました。

 

そんな先生でしたがある時期を境に学校に来なくなりました。何も音沙汰が無かったのですがかなりの時期が経った時急にまた学校に戻ってきました。

 

しかし、前の姿とは異なったものでした。頭の毛が全て抜け落ちていました。

私はすぐに抗がん剤治療の副作用によるものだと気づきました。そんな姿を見て、私は困惑してしまいどう声をかければいいかわからず話しかけられずにいました。

 

まぁ学校に戻ってこれたということは完治したのだろう、またそのうち話しかけよう、と軽く考えていました。

 

突然その時は来ました。また先生が来なくなり、それからすぐにあった全校朝会で先生が亡くなったことを聞かされました。

 

頭が追いつかなくなりました。涙が止まりませんでした。

 

ガンの発見が遅く、余命宣告をされたため延命治療をやめ、家族や生徒と共に残りの時間を過ごすことを選んだとのことでした。

 

その日からしばらくぼーっとした日が続きました。しばらくしたら落ち着き、それまで通りの生活を過ごせるようになりました。

 

この映画を見てその先生のことを思い出しました。私は前に進めているのでしょうか。

いなくなってしまったもの、失ったもの。

それらの時間は止まってしまいますが私たちは前に進まなければならない。何をすればいいのかはわからない。けれど何かしなければならない。

 

自分なりの波を探してみようと、そんなことを少し思いました。

皆さんがこの映画を見て何を感じ、何を未来に見るのか。それを聞いてみたいものです。